空手の聖地
沖宮

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空手神楽~道~とは

総合プロデュースに日出克氏、演出を安田辰也氏が手掛け、空手を中心に沖縄の伝統文化の融合、
空手の聖地沖縄の魅力を存分に感じてもらえるオリジナル神楽を作り上げました。
50分の演目でコンパクト化を図り、ノンバーバル(非言語)で国外の方でも見易い演出となっております。
シナリオも、英語訳をご用意して海外の方も楽しめるコンテンツに仕上がっております。


世界平和の祈りと神話に込められた
忘れてはならない大切な教え

「古事記」及び「日本書紀」の中に、神様(アマテラス)が岩の奥に隠れてしまった時、
外に連れ出すために天の岩屋戸の前でもう一人の神様(アメノウズメノミコト)が踊りをみせたといわれる神話があり、
それが神楽の起源だと一般に言われています。つまり、神や祖先を祭る祭祀の中で、五穀豊穣•無病息災を祈る儀式として古くから行われてきました。
日本各地に様々な神話が残っているのと同様に沖縄にも古くからの神話があり、
奥武山はその神話に登場する霊験あらたかな神地のひとつとされています。
それらの神話をもとに、独自に創作・演出したのがこの舞台です。


ストーリー

遥かなる神々の時代、スサノオノミコトは、大変力の強い神様でしたが、乱暴をはたらいたため天照大御神(アマテラスオオミカミ)によって治められる神々の世界・高天原(タカマガハラ)から追放されました。
宇龍真(ウルマ)の地に降り立ったスサノオノミコトは、途方に暮れ、孤独な旅を続けている中、疲れ果て気を失ってしまいました。
夢の中で出会った不思議な老人に掛け試し(実際の戦いの中でどのように技が掛かるか試し合う事)を挑むが、全く歯が立たちません。
降参したスサノオノミコトは、これまでのいきさつを話し、その老人のもとで厳しい修行を行うこととなりました。 その修行を通して、「親とは、親から先祖へ、さらに遠つ御祖神(みおや)へと血統を貫く万世一系のことであり、我々は、御祖神(みおや)のもとに生まれ、御祖神(みおや)の力によって育てられ生かされ、すべては御祖神(みおや)から授けられた知恵の働きによる御恵みなのである。
なすべき道を正しく行うことに努力し、持って生まれた使命を忠実に世のため人のために尽くせるよう念願し、それに対して感謝を捧げることで「誠の道」が開かれる。」ことを学ぶ。
不思議な夢から覚めたスサノオノミコトは、これまでの自分を見つめなおし「誠の道」を追求する修業を重ねていきました。
そんなある日のこと、八つの頭と尾を持つヤマタノオロチに苦しめられる村があると聞いたスサノオノミコトは、村を救うためヤマタノオロチ退治へと出発しました。
壮絶な戦いの末、スサノオノミコトによって退治されたヤマタノオロチは、光を放つ一本の剣と姿を変えました。
この剣に、尋常ならぬ力を感じたスサノオノミコトは、これをアマテラスオオミカミに献上し、これまで犯した罪を詫び・許しを請うため高天原(タカマガハラ)に上りました。
そこで迎えたのは武の師である老人でした。
老人は、スサノオノミコトに大切な事を気付かせるため姿を変えたアマテラスオオミカミだったのです。
スサノオノミコトに対してアマテラスオオミカミは、「これからそなたは、人々に誠の道を開く武道を広め、和魂平安な世を創るよう勤めよ」と述べられ、罪を許しました。
こうして生まれた武道は、長い年月を経て琉球の時代には「手(てぃ)」と呼ばれ、その後「空手」へと名を変え世界に広がっていきました。


The Story of ‘Karate Kagura’

IIn the era of distant gods, Susanoo-no-Mikoto was a tremendously powerful god, but he was banished from Takamagahara, the world of gods ruled by Amaterasu-?mikami, because of his violence.
Susanoo-no-Mikoto, who landed in the land of Uruma, continued his lonely journey at a loss and fainted from exhaustion.
He challenges a mysterious old man he meets in his dream (trying out how the techniques work in the actual battle), but it is too much for him. The surrendering Susanoo-no-Mikoto talks about his past and decides to practice diligently under the old man.
Through this training he learns, “A parent is an unbroken lineage that runs from parent to ancestor and then to the even more distant ancestor, Mioya, the first god. We were born under the ancestral god, Mioya, raised and alive by the power of Mioya, and are all blessed
by the wisdom given by Mioya. The ‘Makoto-no-Michi’, or path of sincerity, is opened by striving to do the right thing, trusting that we are faithful to the mission we were born for the sake of others and the world, and giving thanks for it.”
Awakened from the mysterious dream, Susanoo-no-Mikoto took another look at himself and continued his training in pursuit of the ‘Makoto-no-Michi’. One day, when he heard that
there was a village being tormented by Yamata-no-Orochi, a serpent with eight heads and eight tails, Susanoo-no-Mikoto set out to exterminate Yamata-no-Orochi to save the village.
After a fierce battle, Susanoo-no-Mikoto defeated Yamata-no-Orochi and the serpent transformed into a shining sword. Susanoo-no-Mikoto, who felt an extraordinary power with this sword, went up to Takamagahara to present it to Amaterasu-Omikami as an
apology for the sins he had committed and to ask for forgiveness.
The one who met him there was the teacher of budo, the old man. The old man was Amaterasu-Omikami, who changed his appearance to make Susanoo-no-Mikoto aware of what was important. Amaterasu-Omikami said to Susanoo-no-Mikoto, “From now on, you should spread martial arts to open the path of sincerity to people and create a peaceful
world with the Japanese spirit.”
Martial arts born in this way was called “te” during the Ryukyu Dynasty Era, and after many years its name changed to “karate” and spread throughout the world.


演出
安田辰也 演出家
1975年生まれ1998年、スウェーデンサーカスからスカウトされ、ピエロとして世界ツアーに参加。
現在、演出家として県内外において数々の舞台を手がけている。

音楽プロデュース
日出克 ミュージシャン
八重山竹富島出身。アジア的音色を持つ「太古ギター」と出会い、沖縄の伝統音楽のエッセンスと現代音楽を融合させた独自のサウンドを確立。
1993年デビュー曲「 ミルクムナリ 」発表、沖縄県内で大ヒットを記録。
以後、県外・海外でも主に創作エイサーの演舞曲として広く親しまれる。その音楽性は、沖縄にとどまらず無国籍なワールドミュージックを生み続けている。2014年 音楽活動20周年を迎え「 琉球の宴2014 × 日出克20周年記念公演 」を開催。「 日出克 ORIGINAL BEST2 (2004~2014) 」を同時発表。
現在、沖縄を代表するミュージシャンの一人として、また音楽プロデューサーとして幅広く活動。

演技指導
大田礼子 舞踊家
玉城流玉扇会師範。沖縄県伝承者認定。
振付家として創作舞踊、ジャンルを超えたエ ンターテイメントな舞台の演出も手掛ける。
県内外、海外50カ国で公演フィットネスイン ストラクターとしても活動をしており琉球舞 踊とフィットネスを融合した「琉球ビクス」 を考案し商標登録されている。